「アラサー」なんて言葉がありましたが、いつの間にやら私は「アラウンド」と言って誤魔化せるような年齢でもなくなってきました。「アラウンド」の範疇って、精々プラマイの二歳が限度でしょう。三十三歳となった私には、もはや「アラウンド」ではなく「オーバー」です。「オバサー」です。女性なら「オーバー三十」、略して「オバサン」です。かねてから「男性なら『○○三十』、略して『オジサン』です。」というネタを完成させようと頑張っているのですが、どうにも良い言葉が思い浮かびません。「オーバー・ジ・三十」は安易ですし、そもそも文法的に間違っています。

三十を超えてから、体のあちこちが3レベルくらいダウンしたような気がします。健康診断でひっかかるような、数値として表れるものもありますが、それ以外にも感覚的なものがあります。例えば、傷の治りが遅くなってきました。昔はどうだったか覚えていませんが、口内炎が一週間くらい継続するのが当たり前になっています。以前はいくらなんでも三日程度で元通りになっていたと思うのですが、今ではなかなか治らない。口の中の傷となると日々の食事で常に少なからずダメージを受けているわけですが、そのダメージを上回る修復力がなくなっているような感じです。だからいつまで経っても治らない。口内に限らず、切り傷なんかでもそうです。傷口に薄い膜が張って、それがかさぶたになって、そして傷が治るというのが人体のメカニズムですが、膜が張ってからかさぶたになるまでが遅い、かさぶたになってもこれがなかなか治らないというのが今の私です。

表側もそうですが、内側だって同様です。「揚げ物がしんどい」とか「そもそも量を食べられない」とか。量を消化できなくなってきたのに本能の方が追い付いておらず、ある程度の量を食べてしまって消化吸収できずに腹回りに蓄積されてしまったり。いやもうベルトが大変ですよ。ズボンのウエストも大変ですよ。体重計なんか見たくもありませんよ。我が家の体重計は故障してしまったようで、私が乗っても60kg以下の値を指すことがありません。おかしい。俺がどちらかというと70kgに近いなんて絶対におかしい。

かつては簡単にできていた事ができなくなったりもしています。昔は「右耳でテレビを見ながら、左耳で奥さんの与太話を聞き適当に相槌を打つ」という事ができました。その相槌が適切なものなのかはわかりませんが、少なくとも無反応という事はありませんでした。ところが、最近では両方の耳で別々の入力を処理することができません。テレビの時はテレビ、会話の時は会話と、どちらかに集中しないといけません。いやまあ集中というほど大層なもんではありませんが、少なくとも同時進行は無理です。テレビの最中に話を始められるとそちらに切り替えられないのです。

かろうじて聞き取りに成功したとしても、そこから適切な相槌を打つことができません。聞こえて、脳にまで達して、その先である「返事を考える」までたどり着かないのです。音が音のままでしかなく、会話として処理されず、そのまま流れ出して終わってしまいます。で、奥さんから見るとそれは「話を無視している」と見えるようなのです。無視しているのではないのです。ただ、体が追い付いていないのです。でも、「昔は相手してくれたのに最近は無視される」となって愛情が薄れるとか倦怠期がどうのとか面倒くさい話になってしまいます。私がとろうとしている行動は昔と変わらず、「可能なら適当に返事する」なのに。

かつて適当に返事をしてしまえたからこそ、「話を聞いてくれる優しい旦那さん」と誤解させることができたのですが、それができなくなったので「妻の話を聞き流す冷たい旦那さん」となってしまいました。そもそも聖徳太子じゃないんだから、複数の音声入力を処理するのって無理じゃないかと思うのです。それに、テレビに限らず集中しているとき以外に声をかけてくれるんなら、ちゃんと返事もできます。なんでうちの奥さんは、毎度毎度私が集中しているときにのみ声をかけてくるんでしょうか。お年を召された妙齢のご婦人は所構わず遠慮会釈なく声をかけてくる印象がありますが、つまり奥さんも順調におばちゃんになっているという事なのでしょうか。


トップ 一覧 前の雑文 次の雑文