幼稚園、保育園では年に一度「お遊戯会」というものがあります。全国どこででもあるのかまでは知りませんが、少なくとも私が関わった園ではそうだったので、「そうである」という前提で話を進めます。私の頃は「お遊戯会」という名称だったのですが、息子達は「生活発表会」というものになっています。何がどう違うのかは分かりません。多分同じものだと思ってます。
さてこのお遊戯会。一般的には何らかの劇をするものだと思います。場合によっては、例えば年長児限定で合奏や合唱なんかが追加される場合もあるかもしれませんが、一般的にメインとなるのは劇です。そのお題は様々。誰もが知ってる古典的な童話だったり、はたまた何らかの絵本を題材にしてたり。全くのオリジナルである場合もあるでしょう。
配役は基本的に全員参加を前提としてあります。近年では口喧しい保護者対策という面もあるのか、同じ役を複数人で演じる事もあるようです。こうすると、例えばお姫様役を複数人で演じる事になり、子供としては覚える台詞の量が減り、親としてはうちの子主役級で大勝利であり、先生達も配役に頭を悩ませなくて済むと、三方が丸く納まってくれます。かぐや姫なんかを例にすると、かぐや姫やお爺さんお婆さんなんかは徹頭徹尾出ずっぱりです。しかし、求婚する貴族やらなんやらの出番はそのシーンだけとなります。単純に一役に一人だけをあてがうと、主役だけ大変で脇役は暇、そもそもかぐや姫って主役と婆さん以外に女性キャラいたっけ、となります。こういう事態の対策として、かぐや姫(竹の中)とかかぐや姫(無理難題を言い渡す)、かぐや姫(昇天)と場面ごとに配役を分ける事になります。台詞量が減って子供の負担が減り、「月へ帰るかぐや姫を見送る民衆その五の嫁」なんて役を作って無理やり出演する必要もなくなります。
私が子供の頃は、こういう分業制というものは行われていなかったと思います。何故か今でも覚えているのが、年中時の劇であった「シンデレラ」。主役は勿論王子様とお姫様です。こういう劇の配役なんてものは、クラス内のカーストが大きく影響すると思います。当時のことを思い出すと、かっこいいからとかかわいいからとか足が速いからとか腕っぷしが強いとか、そういう要素が大切です。足し算が出来るとかひらがなが読めるとか、そういう要素は不要です。諸々の事情を勘案した結果、私の役は「ガラスの靴を持ってシンデレラを探す小役人その三」でした。いやね、同じ役でも「その一」であればまだやる事はあるんですよ。靴を持って問いかけたりしますから。「その二」も「その一」との掛け合いがあったりするんですよ。でも「その三」。なんか三人組の最後尾で突っ立ってただけの記憶しかないのですが。台詞あったっけ?今考えると「二人でいいじゃん」的な役でした。
その二十年後、長男の時。彼は蛍の役を演じる事になりました。「とべないホタル」という絵本を題材にした劇だったのですが、普通に配役すると明らかに役の数が足りません。どうするんだろうと思っていたら、役の使い回しという画期的な解決策が。昔と違って、台詞も動きも特にない役というものがありませんでした。結果的に「みんな主役級」となったわけです。
あれからさらに時が経ち、残るお遊戯会は次男だけとなりました。彼の今年の役は「海賊の船長さん」。最初に聞いたときは耳を疑いました。何故そんな主役級と言いますか高レベルな配役なのだろうかと。前年度の「ねずみの嫁入り」における「ねずみのお婿さん候補である『風』役その一」と比較してもかなりのレベルアップです。漏れ聞く話から判断する限りでは、宝探しをする主人公達を邪魔する役のようです。って事はあれですよ。主役の敵役ですよ。しかもなんか部下が三人ほどいるらしいじゃないですか。シンデレラで言うと「シンデレラを虐める意地悪な姉、しかも一番長女」くらいの立ち位置です。「ガラスの靴を持ってシンデレラを探す小役人。しかも一番目立たない」では太刀打ちできません。
別に自分の息子が主役級じゃないと嫌だ、なんで海賊なんだ主役にしろとか言う気はありません。海賊の子分だろうが、道中すれ違ったチョイ役の村人であろうが、きちんと自分の役割を果してくれればそれでいいんです。とは言うものの、我が子がいい役を演じるという事で親としてテンションが上がっているのもまた事実です。彼がきちんと自らの役を演じきることを願います。それにしても船長役。持論であるクラス内カースト制の考えからすると、次男の階層は結構上位に位置することになるんですが。親の目からはよくわからんが、子供の世界だとそういう評価なのでしょうか。それとも、配役に関してはジャンケンで勝ったからとかそんな単純な理由であり、一喜一憂してる私が変なだけなんでしょうか。