今まで何度か結婚式関連のネタを書きました。最も古いのは四年前。その後も何度かありました。いずれも、当然ながら私が出席したものです。という事で、今回は私が出席していない、と言いますか呼ばれていないというかそもそも結婚する事そのものを知らされていない結婚式の話でも。
なんでまた、「呼ばれてないし知らされてすらいないけど知っている」という面妖な事態になっているのか。結婚する友人と私には、ある共通の知人がいます。で、先日その知人と話をする機会があったのですが、そんなに接点があるわけでもない間柄ですので必然的に話題は共通の友人の話になります。そこで「もうすぐ結婚するらしいねー」なんて唐突に聞かされた場合に「なんすか、それ」以外の返しが出てくるでしょうか。「一年位前に連絡されたけど知らないのか」なんて問われて再度「なんすか、それ」以外で返せるでしょうか。なんすか、それ。知らないよ、俺。
その後、友人と直接メールでやり取りをしました。呼ぶ呼ばないはともかく、教えてすらくれないのは寂しいじゃないか、と。向こうも向こうで返してくれます。呼びもしないのに教えるだけ教えるってどうよ、と。どちらの意見にも一理ありますが、一般的に言えば友人の意見の方が受け入れられやすいでしょう。結婚するなんて事はとりあえず必要最低限の交友範囲内に伝えればいい事ですし、それ以上の範囲に必要ならば年賀状で「結婚しました」なんてやればいいわけです。友人としても、後日結婚した旨を連絡する事で済ませる予定だったそうですし。
ただ、一般的に受け入れられるから、それで事足りるからといって引き下がれるもんでもありません。なんとなく、本当になんとなくであり私の感情的な問題なのですが、結婚『する』と聞かされてからの「おめでとう」と、結婚『した』と聞かされてからの「おめでとう」にはなんかこう説明できない差があると思うのです。「どこに差があるんだ」と聞かれても困ります。「なんとなく差がある」以外に答えようがありません。あと、自分が結婚したときには祝福の言葉を貰ったのに、相手が結婚するときに同じような言葉をかける事もできないというのは寂しいじゃないか、とも。「なんとなく」でいきなりメールを送られるのは迷惑だとは思いますが、それは運が悪かったんだと諦めてください。実際、件の共通の知人にあと二ヶ月くらい会わなかったら、もしくは会っても話をする機会が無かったら、私は知らないままだったんですから。まあその知人の方も「まさか知らないとは思わなかった」との事でしたが。呼ぶ呼ばないはともかく連絡くらいはあっただろう、と。
私自身は結婚式を挙げてないので詳しい事は分かりませんが、結婚式に招待する人というのはまず一次選考の段階である程度取捨選択があり、その後適正人数に落ち着かせるために二次選考にて増減させるんじゃないかと思っています。この例で考えると、今回の私はおそらくリストアップの段階、零次選考で予選落ちだったのでしょう。書類審査でハネられたとかそんな感じ。いやだっていろいろアレじゃないですか、新婦友人席に素性の知れない男がいるというのは。そう。今回一番大きいのは私の性別が男であるという点、そして友人の性別が女であるという点です。
もし私の性別が女であったら、ひょっとしたら一次選考くらいは生き残ったかもしれません。
もし友人の性別が男であったら、「え、俺呼ばれてないの。じゃパイプ椅子とミカン箱は持っていくんで余ったビールを回してくれ」なんて言えるかもしれません。
仮定に仮定を重ねて旦那さんの方と面識があればまだ可能性があったかもしれませんが、残念ながら旦那さんがどんな人か全く知りません。どれくらい知らないって、名前すらも知りません。友人は多分苗字が変わるんでしょうが、じゃあどう変わるのかすらも知りません。いやっはっは、どう見てもこれじゃ無理だよ、うん。「私は向こうを知らないが、向こうはこのサイトを見て私のことを知っている」という可能性はあるかもしれません。しれませんが、しかしそれが良い方に働くとは思えません、というかむしろそれはマイナス要素です。勿論、「そもそもお前は呼ばれない」という可能性が一番高かったりするのかもしれませんがそんな悲しい事言わないで話が進まないからオチがつかないから。
そんなわけで呼ばれも知らされもしなかったけど、折角なんでこの場を使ってお祝いの言葉でも贈ろうかとも思ったのですが、これはこれで一つ問題が。最初に書いたように、結婚式ネタは数回書いています。しかし、その中で祝いの言葉で締めた文章というのは従兄弟の結婚式だけです。従兄弟の結婚だけ祝いの言葉で締めて、そして現時点で従兄弟だけが離婚経験者であるというその事実を見ると、「結婚式ネタを祝いの言葉で締める」という行為はちょっとまずいんじゃないかと思ってしまいます。冠婚葬祭なんてのは縁起やらタブーやらで大変なわけですが、その観点からすると「俺は祝いの言葉で締めたら駄目」となります。だからと言って「じゃあ祝いの言葉はなしで」というのも、それはそれでちょっとどうかとも思いますが、しかしまさか「俺から祝いの言葉を贈られても離婚しないかテスト」なんてやらかすわけにもいきません。ここは無難に関係のない文章で締めておきましょう。
友人とは以前会ったときに、「じゃあ今度は酒でも飲みながら積もった話を五年分くらい消化しよう」と約束しました。向こうが覚えているかはともかく、私はそんな話をしました。普通に考えるとこれは社交辞令であり、そして向こうも社交辞令的に了承したのですが、残念ながら私は社交辞令を真に受ける人間なのです。五年先か十年先か、はたまた半世紀でも足りないか。いつになるか知りませんが私は気長に「今度」を待ち続けます。よかったら旦那さんもご一緒にいかがでしょうか。その際は是非、「お名前は?」から始めさせてください。