幼少時、兄が欲しいと思っていました。百歩譲って弟でもいい、と。とにかく男の兄弟を望んでいました。
子供の頃は、年をとるにつれて行動範囲が広がっていきました。逆に言うと、幼ければ幼いほど行動範囲は狭いという事です。小学校低学年や幼稚園に通っていた頃は、私が認識していた世界は家の近所くらいでした。家族と、そして近所の同年代の子供が世界を構成する大部分でした。親戚という存在は盆や正月にしか会う事がなかったため、非日常に属する存在でした。
そんな私の小さな世界では、「男の兄弟」の比率が妙に高くなっていました。それくらいの年頃だと、年上というのは絶対的な存在です。腕力や脚力で太刀打ちできませんから。暴力的な手段ではなく民主的な手段、例えば多数決なんかにしても「兄の意向に従う弟」がいますので、必然的に男兄弟がいない私は孤独な戦いを強いられます。最年長が最上部に位置し、年齢順に、そして血縁順に階層が埋まっていった結果、近所のカーストにおいて私は最下層に属していたのでした。
一般的に、弟という存在は「途中で誕生する可能性があるもの」であり、兄という存在は「既に存在しているもの」です。周囲には「十歳の頃に弟が誕生した」例もあったので、ひょっとしたら私にも弟が誕生する可能性はあったかもしれません。しかし、同じように周囲を基準とすると、四人以上の兄弟は存在しませんでした。多くても三人兄弟。二人兄弟だって珍しくありません。一人っ子はあまりいませんでしたが。「四人兄弟が存在しない」という状況を基準とすると、既に妹が二人いる私には弟の誕生は望めません。結局、いつの間にやら私はその状況を受け入れていました。
それでも男兄弟のいる生活というものには憧れていました。よっぽど反目しているのならばともかく、それなりに仲のいい関係であるならばゲームの対戦や会話の相手に事欠かない事になります。私の息子達にしても、早朝勝手に起きてゲームの対戦をしている事があります。私の場合、妹達とはゲームで対戦することはそう多くありませんでした。そりゃ、トランプでババ抜き程度はやりましたが、私としては格闘ゲームでエンドレス対戦とか、カードゲームでひたすら調整ついでの勝負とかやりたかったわけです。仲良く喧嘩しながら格闘系ゲームで対戦したり、兄がルールを解説しながらカードゲームに興じる。そんな子供たちの日常は、私が望んでいて、そして手に入れられなかったものでした。
話は変わって私の影武者である従兄弟。諸般の事情により先日再婚したそうです。引越祝いに再婚祝い、それら諸々を含めて先日遊びに行きました。奥さんの連れ子からの第一声が大爆笑しながらの「うわっ、お父さんそっくりだ」だったり、従兄弟の上着を着せられて子供たちと遊んでいたら奥さんが明らかに自分の旦那と見間違えたような反応をしたりと、まあその辺は想定の範囲内ではありました。こちらもある程度そういう反応を望んでいたわけですし、無反応ですとそれはそれで寂しいものがあります。
本題はそちらではありません。子供達は子供同士で勝手に遊んでいる横で、炬燵に入りながら従兄弟夫婦とどうでもいい会話をしていました。その時に、私の幼少時の望みである「兄が欲しかった」という話をしました。俺、兄貴が欲しかったんだよねー。でも、兄貴って湧いて出てくるもんでもないよねー、と。そして、「でも最近じゃ兄貴も湧いて出てくるもんなんだね」と。それを聴いた瞬間、従兄弟の奥さんが大爆笑です。身体をくの字にして笑ってます。
奥さんの連れ子は十歳。小学四年生です。詳しい事は知りませんが、どうやら一人っ子だったようです。長男として、そして同時に末っ子として十年間生きてきた彼ですが、親の再婚というイベントによって新しい家族ができました。新しい父親、即ち私の従兄弟のもとには三歳の男の子がいました。目線はどうしても従兄弟からのものになってしまいますが、つまり、従兄弟の子には突然兄貴が湧いて出てきたのです。弟は湧いてくるものです。それが普通なのです。勿論、スタートが零歳か三歳かという違いはあります。しかし、兄は湧いてきません。自分が生まれた時点で兄が存在しなければ、その先の人生において兄は発生しません。勿論、二十年前、三十年前であっても親の再婚によって兄弟が増えるという事はありえない事ではなかったでしょう。ですが、それは私の小さな世界には存在しなかった概念です。
戸籍上にて長男から次男となった従兄弟の子は喜んでいるようですが、それはあくまで「新しい遊び相手ができた」という程度のようです。兄とか弟とか、まだよく理解していないんじゃないかと思います。むしろ、私の長男の方が喜んでいるような気がします。弟はいるものの、最年長という事で引っ張っていく立場だった長男。その前に突如現れた年上の存在。血縁上ははとこという関係になりますが、年齢が近い事もあって兄のような存在ともなったようです。それまでは彼にとってのお兄ちゃん的存在と言えば私の従兄弟でした。確かに私よりは年が近いのですが、それでも十歳程度離れています。他の従兄弟にも子供はいますが、たまたまお兄ちゃんはいませんでした。
従兄弟は私の実家からさほど離れていない地域に新居を構えました。よって、それなりの頻度で遊びに行けます。既に「今度はいつお兄ちゃんと遊べる?」と聞かれています。春休みか、はたまた五月の連休か。それくらいには再度遊びに行く事でしょう。でもねえ、問題もありまして。「一人っ子ならば騒々しさは一人分、男兄弟二人なら騒々しさは三人分」というのが持論なのですが、仮に私が子供達を連れて従兄弟の家に遊びに行くと、同年代の男の子が四人も集まる事になります。そうなると、騒々しさは相当なものです。小学生二人と未就学児二人で分かれて遊んでいる分にはまだいいのですが、これが一つにまとまり、さらに室内犬が混ざると素晴らしいカオスが生まれます。ジュースはこぼすし玩具は散らかすし犬は喜び部屋駆け回るし。男兄弟というものは、当事者はともかく親は大変です。