脂肪肝と正常肝の狭間を漂い、学生時代と比較して10kg程の贅肉を蓄え、さらにはあたまグルグル病などという厄介な持病も出てきました。その他にも細かい物を含めればこっちが痛い、こっちが悪いと、やたら不健康な存在になった気がします。腹部の違和感を検査してもらった際は、医者から「今はまだ若いからいいけど、十年、二十年すると身体が急に言う事聞かなくなるよ」と言われました。えへへへ、若いって言われたの、久しぶりだなあ。

まあ、運動不足は自覚しています。色々考えた結果、ウォーキングというものに手を出す事にしました。膝の具合なんかを考えると水泳なんかの方がいいんですが、何しろ先立つものがありません。歩くだけならほら、ジャージは持ってるし、靴はあるし、具合の良い散歩コースがあるし。改めて準備する物といえば水分補給用の飲み物くらいです。

というわけで歩き始めたのが一年ほど前。最初は週一回程度だったのがだんだん調子に乗り、週二回、週三回、と増えたところで異変が起きました。ある日いつも通りに歩いていると突然右足に痛みが。正確には右足の甲だか裏だか指の付け根だかが痛い。何が正確なのか分かりませんが、なんかこう、痛い部分が随時移動中な感じです。歩くだけでも激痛が襲ってきます。こりゃ痛みが引くまではお休みだな、と思いました。

まさか半年経っても痛みが残るとは思いもしませんでしたよ。どう考えてもこれは変だ、という事で病院に行く事にしました。とは言え、発症から半年経過しています。レントゲンを撮っても、触診をしても、特にこれと言った判断は下せません。
「運動不足からくる痛みもあるかもしれません。軽い運動をしてみたらどうでしょう」
「でも、『軽い運動』をしようと思ってウォーキングをしてたらこんな事になっちゃったんですけど」
なんてコントのような会話が行われるだけでした。

そっからさらに数ヶ月。暑さの峠を、越えたと思ったらまだまだ峠が残っているとは思いもしなかった頃にまた歩き始めました。無理するとまた痛くなるから週一ペースで。週末の早朝に早起きして一時間ほど歩くようにしました。魚の目が痛いとか、保育園の運動会の準備があるとかでちょくちょくお休みしたりもしますが、まあその辺はあまり気にしません。

そんな、マイペースで歩きに出たある日の事。まだまだ残暑が厳しいとは言え、早朝であれば気持ち良い風も吹いています。いつものように身支度を整えて家を出ました。なんとなく嫌な予感はしていましたが、それほど気にする事はないと思っていました。

私と同じようにウォーキングやジョギングをする人たちに紛れ、私もいつもどおりのコースを歩いていました。が、折り返し地点を過ぎた辺りで具合が悪くなってきます。足の痛みではありません。便意です。それも急なやつ。私の脳内にある地図では、折り返し地点近くにあるコンビニと公衆トイレ以外に便所が思い浮かびません。

頑張って家まで辿り着くか、それとも折り返し地点まで戻って用を足すか。悩みながらも歩いていたのがいけませんでした。すでに折り返し地点からは遠ざかり、そして発作は酷くなります。気を抜けば決壊しそうです。コース脇の草むらがとても魅力的に見えますが、既に明るくなってきているし人も多い、さらに草むらも中途半端な伸び具合なもんで用を足すには躊躇われます。

草むらを見送って「何とか」できそうな場所を探しますが、こんな時に限ってコンビニや公園はありません。明らかに挙動不審となりながらも、それでも歩き続けます。手は腹部と臀部を行ったり来たり、歩き方は早足になったと思えば急に爪先立ちになったり、そして脂汗を垂らしながら周囲を見回しています。きょろきょろするのはともかくとして、ある程度歩いているならば汗は問題ありません。歩き方だって、「そういうトレーニングだ」と言い張る事もできます。でも手はねえ。明らかに「うんこ我慢してます」という動きです。言い訳できません。

そんな孤独な戦いを繰り広げる私の目に、一軒の建物が止まりました。教会です。カトリックだかプロテスタントだか知りませんが、多分迷える子羊を助けてくれる所です。お願い、助けて。洗礼でもお布施でもなんでもするから、お手伝いもするしレンズマメだって残さず食べるから、と近づいてみると明らかに営業時間外ですこの野郎。ここでルートを外れたための体力浪費と、そして精神的なショックで圧力メーターはグングン上昇します。畜生、神なんていねえんだ。

と思いきや、捨てる神あれば拾う神ありとは言ったもんです。その教会のちょっと先に公園が、そして何らかの建物が見えました。小さい公園とは言え、ブランコや滑り台程度の遊具はあります。という事は、あの建物は公衆トイレではなかろうか。既に限界目前です。「あれはトイレに決まってる。違ってたら玄関でひり出してやる」くらいの勢いです。競歩もかくやと言わんばかりの速度で前進しました。公園に近づき、その建物に「男性用/女性用」のマークを見つけたときは泣きそうでした。ありがとう日本、万歳日本。

しかし、最後の最後に難所が待ち受けていました。個室に直行した私の目映ったのは、和式便器とどこにも紙がない空間、そして便器からはみ出した排泄物でした。通常時ならば明らかにパスします。が、その時は悩んでいる暇はありません。一瞬だって惜しい、拭かないくらいで死にはしない、ちょっと踏んだら靴を洗えば良い、刹那のうちにそれだけ考え、後は目的達成に向かって一目散でした。

帰り道、すぐ近くのセルフ式ガソリンスタンドにて「トイレの御使用はご自由にどうぞ」と書かれた案内板を見かけました。もうちょっと頑張ればより快適な空間で用を足せたかもしれませんが、しかしそれだけ頑張れたかは疑問です。何にせよ、無事に用を足せたのですから、それ以上は何も望めません。おはようお日様、おはよう小鳥さん、今日も良いお天気だねと優しい気持ちになりながら、今度からは出発前に絶対トイレに行こうと心に固く誓うのでした。


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