人間誰しも、一度は「社長」という肩書きに憧れた事でしょう。偉くなりたい、給料をたくさん貰いたいという単純なものから飲み屋のお姉ちゃんに「シャッチョーサン、ワタシ、オカネモテルヒト、スキヨ」と言われたいという形容しづらい物まで、その理由は様々だと思います。

私にとって身近な「社長」という存在は、自分の父です。独立してから十数年。その間色々な事があったでしょうが、立派に自分の城を守り抜いてきました。その社長を見続けた人間にとって、社長とは「朝から晩まで、週休0.5日程度で盆正月も休んでるんだか働いてるんだかよく分からん商売」という印象があります。無論、身体のあちこちにガタがきています。肩こりやら腰痛やら、老眼は仕方ないにしても生傷も絶えません。もし、私にその意思があれば跡を継ぐことも可能でした。でもねえ、率直に言って無理っす。や、ほんと。未だに父に腕相撲で勝てる気がしませんが、跡を継ぐとなると少なくともその父程度には働かないといけません。うん、無理。多分、父と私とは根本的なところで身体の構造が違うんだと思います。どう贔屓目に見ても「二代目のボンボン」以上の存在にはなれません。

「社長さんのお付き合い」となると、相手も社長とかそういう方々が多くなります。こちらが零細企業であり、相手も零細とか中小とか、そういう規模の小さい会社ではありますが社長には変わりありません。という事で、他の会社の社長にも接する機会はよくありました。んで、そういうよその社長にどういう人物がいたかというと、「私の担任が自分の姪の旦那だという事で夜中十時にその姪夫婦の家に押しかけお茶をご馳走になる社長」とか。いや、飲み会に出かけた父を車で迎えに行った時の話なんですけどね。父と一緒にご友人様数名も乗っけて送って行った訳です。そしたら道中その社長さんが、「彼は俺の姪の婿だから今から挨拶に行くぞ」と。私は立場弱いし、父は止めないし、酔っ払い無敵だし。結局流されるまま針のむしろです。せめてもうちょっと早い時間ならともかく、深夜じゃねえ。

その次くらいに身近な社長と言うと、今の所属先の社長でしょうか。年に数回も会わないけど、それまでのような朝起きたら社長におはようという生活の方が珍しいと思うのでそれはそれで置いときます。で、社長。ざっくばらんと言うかいい加減と言うか、ろくに監視もされずに放任されています。上司もそうなのですが社長も九州出身でして、入社当時は「九州に拠点を作るからそれまで頑張れ」と言われていました。あれから八年。社長、拠点はいつできるのでしょうか。

まあ、いい加減はお互い様ではあります。普通、サラリーマンにとって上司や、ましてや社長との食事会というものはそれなりに緊張するものです。テーブルマナーとか箸使いとか、その他話題の選択にお茶の気配り等と、やる事は山ほどあります。緊張で何を食べたか覚えていない、という事も多々あるのではないでしょうか。で、私がどうだったかと言うと。黙々と食べる私、会話が弾む私以外、で、そんな状況で私に話を振る社長。ええ、返事できません。口一杯にほうばっています。「いい、お前は食べてていい」と、社長直々のお言葉を賜り、その後も食べ終わるまで私は一言も発することはありませんでした。すいません、社長。「食事は黙々と」がモットーなんです。おそらく私は恵まれた環境にいるのでしょう。普通はこう、社長のお言葉なんかは社長から目を逸らさず決して笑うことなく全て聞き取り、社長の支社視察なんかは見られちゃまずいようなグラフなんかは隠したり机の上の私物はどこぞのロッカーの中に押し込んだりするものではないでしょうか。そんな話を奥さんがしてくれました。

とある大きな企業の九州支店にて雑用をこなす奥さん。雑用というのは新聞を切り抜いたり、「エアコンの温度が気に入らねえ」という部長のわがままに従って設定温度を変えたり、お茶菓子を頬張ったりする事だそうです。んで、その九州支店に東京から社長がいらっしゃるというからさあ大変。社長が、そしてエアコンの設定ができない部長が前日からてんやわんやです。来客用のコップを買ってきたり、観葉植物の手配をしたりと、仕事そっちのけの勢いだったとか。その他にも、まっちゃいろのお手拭を準備したり。「まっ茶色のお手拭とは珍しいな」と思いましたが「抹茶色」だそうで。発音一緒だからわからんちうに。さらには当日に備えパート全員含む社員一同に対して「社長のお言葉を直々に賜るにあたっての心構え」というものを伝えられたそうです。曰く「起立して拝聴」、曰く「社長の方をじっと見る」、曰く「決して笑ったりしない」等々。めんどくせー事この上ありませんが、社長も部長も大真面目だったそうです。大企業って大変だね。

さて当日。いつもは着席してお菓子でも食べながら聞き流す朝礼も、社長のお言葉という事で真面目に聞かなければいけません。お言葉そのものは最近暑いね、地球温暖化だねなんて時候の挨拶に始まり、仕事も良いけど休みも取ろうねというアリバイ作りのお約束で終わったそうですが、問題はその内容と反応。堅苦しい内容だけでは疲れます。スピーチには適度に息を抜く場面も必要です。べたべたな親父ギャグだとか、使い古されたお約束だとか、それはスピーチの内容によって様々です。一本調子だと疲れます。いかに上手にメリハリを付けるか、それこそがスピーチの腕前の見せ所と言えるでしょう。そう、「喋る事なのに『腕前』とはどういう事だ」なんてベタな笑いこそが必要なのです。

お言葉の中にもちゃんと笑いどころはあったそうです。環境破壊から資源問題に話が飛び、「私が出張でホテルに泊まる時は歯ブラシ持参だし、シャンプーも節約してるんですよ」というお言葉が。これは、「その砂漠化が進行した頭髪に多量のシャンプーは必要ない」という突っ込みを期待してのものだと考えられます。いや、社長本人を見たわけではありませんが、奥さんの話だとそう判断できます。社長直々のギャグ、しかも身体を張った自虐的なものです。ここは笑うべきでしょう。むしろ、喋った本人も笑いが起きる事を期待していたはずです。が、笑い声どころか咳払い一つ聞こえない。全員が「決して笑ったりしない」という事前の通達をしっかり守っていたそうです。お偉いさん連中に至っては真剣な顔で聞いていたとか。その心中は定かではありません。「さすが社長。これぞ究極のスピーチ技だ」なのか、「ああ社長お労しや。その頭髪でご苦労なさっているのですね」なのか、はたまた「FXで300溶かしちまったよ、なんて言い訳しよう」なのか。

そりゃ、目上の人物の話は真面目に聞くべきでしょう。でも、相手に笑わせようという意思があるのであれば、笑っても構わないのではないでしょうか。ひょっとしたら、誰も笑わない状況で一人だけちゃんと笑ったら、特別に目をかけてもらったりするかもしれないじゃないですか。「お前、笑ったから二階級特進」とか。あ、これじゃ殺されてしまう。ええと、「ギャグで笑ってくれたから臨時ボーナス」とかその辺で。で、そうなると次回から事前通達に一項目追加されるんですよ。
「社長のギャグにはちゃんと笑う事」
社長、どこの匿名掲示板管理人だ。


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