私が初めて雑文というものを書いたのはかれこれ三年前。クリスマス雑文祭に参加するためでした。で、その時書いたのが「ある家族の風景」というものです。
「幼稚園に通う子供がいる」「クリスマスプレゼントを購入」というあたりで分かるように、だいたい今現在の私を想定して書いたものです。勿論、いくらか現実と異なる部分もあります。その中には、意図的に現実と異なるように書いた個所もあれば、予想を外したために現実と異なってしまった個所もあります。前者の代表例としては次男の存在、後者の代表例としては長男の成長っぷりがあります。
もともと「兄弟間の年齢差はあまり大きくないほうがよい」というのが相方の持論です。私にも異論はありません。書いていた時点で、「上の子が幼稚園に通うのに下の子は生まれていない」という事が現実に起きると思ってはいませんでした。予定通り、長男が幼稚園に通い始める前に次男が生まれています。年齢差が小さい分、結構仲がいいようです。たまに喧嘩になって片方が泣いたりしますけど。そして、泣いているのは往々にして長男だったりしますけど。
「ゲーム取られた」「絵本取られた」「ブロック取られた」
泣かされまくりです。次男は次男でお兄ちゃんの真似がしたいだけなんですけどね。で、「お兄ちゃんの真似」をする次男を見て、そのお兄ちゃんは弟の真似をしたがるわけでして。卵が先やら、鶏が先やら。
んで、後者。幼稚園の年少さんという生き物がどういうものかという事を理解していなかったがために起きたものです。ビデオの使い方なんて幼稚園入る前にだいたい覚えますね。録画のやり方は教えていないからできないと思いますが、教えたらがんがん録画しそうです。あと、朝飯も勝手に食べてます。戸棚の中にある食パンを取り出してもぐもぐと。偉いのは弟にも分けてあげてるところです。仲良く半分こにしてたり。ええ、ええ、ちゃんと起きてあげればいいんですけどね。
結果的に、年少さんを想定したはずが年少さん一歩前、つまり二歳から二歳半前後の子について書いたようになっています。いやはや、子供というものはぐんぐん成長していくものなんですなあ。ちょっと前までできなかった事が、いつの間にやらできるようになっている。勿論、その度合いには個人差や環境の影響なんてものもあります。同年齢の頃の長男と比較すると次男のほうがいろいろな事をできるように思えますが、それには間違いなく兄の影響があります。お兄ちゃんの真似をしようとして、結果的にいろいろな事ができるようになる。それだけならばいい事なんですが、真似をして欲しくないこともあるんです。椅子に乗ってまな板の上に置いていた包丁を母親の枕元に届ける、なんてことはしなくていいんです。「寿命が縮んだから、包丁はちゃんと片付けろ」と怒られました。言い返す言葉もありません。
あの時はかわいい子供達と過ごす日々の一コマを想定して書きました。今目の前に広がる現実を見ると、かわいい子供はどこへやら、悪ガキと小さい悪ガキが元気に暴れる日々です。勿論、こっちは『意図的に異なるように』書いたほう。つまり前者の側です。だって、我々の子供が品行方正に育つわけないじゃないですか。ハンバーグのCMじゃありませんが、腕白でもいいから逞しく、元気に、他人に迷惑をかけずに育ってくれればいいんです。しかし、「他人に迷惑を」の部分を教え込むのは難しいや。