幼い頃は、エロスな書物というものは皆の共有財産でした。例えば幼稚園だか小学生だかの頃。いつも遊んでいる場所に落ちている書物は皆のものであり、独占したり、持って帰ったりという事はありえませんでした。もっとも、そんな小さな頃は自宅に自室なんてものがあるわけもなく、持って帰ったところで途方に暮れるしかなかったのですが。
転機となったのは中学生の頃。今でも付き合いのあるいつもの連中との出会いです。彼らとの出会いが、私の長い書物ライフの始まりといってもよいでしょう。あ、ちなみにこの書物ライフ。現在進行形です。たぶん死ぬまで続きます。因果なものです。
幼少時が第一次共有時代とすると、この中学、高校時代が第二次共有時代となるでしょう。ある友人のカミングアウトと類稀なる行動力によって書物を手に入れ、仲間内で流通させる事によって始まりました。何故か三次元を飛び越えて二次元からの入門でしたが、この際それはどうでもいいでしょう。当時は近所に本屋自体がなく、ちょっと遠出をして書物を手に入れていました。この事が結果的に、我々の行動を目立ちにくくする事となっていました。自転車で三十分程度はもちろん、片道一時間もかけて本屋めぐりをした事すらよくありました。
中学生の可処分所得というものはたかが知れていますが、頭数が集まれば馬鹿にできません。片手に余るほどの人数となった馬鹿どものおかげで、我々の共有ライフは非常に実りのあるものとなりました。また、頭数が多いという事は、資金の面だけでなく、ジャンルの面においても非常に有利です。巨乳は僕、ロリは君、そんな具合に担当分野、得意分野が自然と別れてきます。担当と言っても自らの好みのままに突き進んだ結果であって、守備範囲が重なる場合ももちろんあります。しかし、贔屓の作者が重なる事は殆ど無い、というのが面白いところです。ジャンルが重なっていても、あの作者は僕、こっちの作者は君、という具合になっていました。たまに、同じ単行本が複数存在する事もあったのですが。
僅かなペースで収集が進んでいたとしても、その期間が長ければ蔵書も増えていきます。こうなってくると、収納場所の確保に頭を悩ませる事になります。当初はある友人の近所にあった空家にそのまま放置していました。雨漏りの心配も、誰かに見つかる心配もなかったのですが、リスク分散という事でその中の一部を我が家に運び込む事になりました。当時、自室に親兄弟が勝手に入らないような家庭というものが我が屋以外に存在しなかった事が原因です。一部といっても、長年の収集活動によって、膨大な量になっており、運搬したのは旅行用バッグに二つ、三桁に届くかどうかという数の書籍が運搬されました。ちなみに、この数日後に大量の蔵書を蓄えた空家は取り壊されています。もともと運搬を提案したのは友人なのですが、彼には何か予感のようなものでもあったのでしょうか。そうだとしたら、もうちょっとまともな事に活かした方がよろしいかとも思うのですが。
中学高校と続いた第二次共有時代は、高校卒業と共に第三次共有時代へと移っていきます。まず、高校卒業と共に実家を離れる連中数名。彼らの蔵書を引き取るために、再度我が家が使われていました。今度は車が使用できるため、前回のように「自転車二台に旅行用バッグ三つ」などという怪しさ爆発な状態で移動する必要はありません。大量の書籍をまとめ、重複している書籍の数に苦笑いをした数ヵ月後。予備校の寮に入っていた友人より連絡がありました。曰く、「めぼしい書物を提供してくれ」と。
金も無い、女もいない、どうにもならない。そうだ、地元には皆の共有財産があるではないか。そんなわけで私に連絡したそうです。こちらとしてもあまりに多すぎる蔵書の量に途方に暮れていたところ。望むところです。この皆の汗と涙とむにゃもごもごの結晶(の一部)を送り届けてやろうじゃないか。その週末、我々は彼のもとへ向かいました。
「おー、有難う」
なんのなんの。電車ならともかく車だからな。恥ずかしくもなんともないっす。
「んで、そのお宝は……うわっ、こんなに?」
基本的に、俺の部屋にあったものの中で重複してたもの。あと、使わなそうなものを適当に詰め込んできましたからな。
「『詰め込んで』って、詰め込みすぎだろう、こりゃ」
彼の目の前、すなわち、我々が移動に使用した車のトランクにはパンパンに膨れた旅行用かばんが三つ。このかばんもいい加減、真っ当な使い方をしてもらいたいでしょう。かばんの嘆きはさて置き、中身は早速寮の中に運び込まれ、その日のうちに寮内の各部屋に配分されたそうです。と言う事で、熊本市内の某予備校の寮生の皆さん。あなたが先輩達から受け継いだ書物の中に、二十世紀末ごろの二次元な書物が含まれているとしたら。それは我々が所有していたものかもしれません。
さて、全く見知らぬ人たちを巻き込んだ第三次共有時代にも終わりの日が近付いてきます。私が高専卒業と共に実家を離れる事によって、蔵書の収納場所が失われる事が原因です。残念ですが仕方ありません。今回は処分しない事にはどうにもなりません。友人宅に蔵書の全てを集め、売れるものは売ってしまおうと計画します。その前に、誰か持っていくんなら今のうちだぞ、と数日間の猶予を与えました。結局それほど数が減らないままに売りに行く事になるのですが。
単行本のみを選んだため、蔵書の半数程度しか売却対象にはなりませんでした。しかし、それでも売却額は一万円以上。とりあえず皆で山分けでして、残りの雑誌類をどうするべ、という事になりました。
「で、本当にやるの?」
やらん事には処分できんだろう。
「しかしなぁ……」
じゃ、俺がやるぞ。うりゃ。
「あ、やりやがったよ」
「んじゃ、俺も」
誰も通らないような空き地。でも、小学生くらいであれば遊ぶためにやってきそうな空き地。何箇所かあったそんな所に分散してばら撒いて来ました。見つけた若者が再利用してくれる事を願って。でも、翌日夜には雨が降ってきたんで、ボロボロになっちゃった事と思います。これで第三次共有時代も、そして私の共有時代も終わりです。
共有生活も終わったんですが、何故か未だに書籍の類は所有していたり。そんな生き物です。はい。いやいや相方さん。コタツの中なんて覗いても何も出てきませんよ。ああ、そこの引出しも一緒ですよ。って、その箱は開けるな。いいから開けるんじゃない。