こうやって金にならない文章を書くのも久しぶりです。あ、最近書いてたのが「金になる文章」と言っても、仕様書とか設計書とかプログラムとかそんな感じのお仕事全開な文章なんで、こうやって自分の書き方で書くのすら久しぶりなのです。なんで、リハビリも兼ねて2010年末から2011年始にかけてのあれこれを日記みたいにまとめようかと。
さて、今年の年末年始。奥さんが仕事の都合上、年末の29と30しか休めない状況でした。福袋を売るような職種なもんで、お正月はそう簡単には休めないのです。とは言え世間一般はお正月。そのカレンダーに従って親戚や友人に顔を出し挨拶をこなさなければなりません。どうせ綿密なスケジュールを練ったところで突発的な出来事が全てをぶち壊してくれるのでいつも予定は大雑把。29日に奥さんの実家に挨拶、30日には奥さんの友人宅と私の従兄弟宅に訪問、そこで奥さんは修羅場に戻り、明けて2日に中学校の同窓会に出席して翌日3日にきっと大層な渋滞の中を帰宅するというスケジュールを組みました。ある程度予定の組み換えができるようにあえてスカスカな予定です。そして予想通り、年末年始は慌ただしく過ぎていったのでした。
29日
初日くらいは平穏に過ぎていきます。奥さんの実家に行き、親戚共々食事へ。うちの息子たちよりちょっと年下の子と遊んだり、ぐっと年下の、まだ乳児のお世話をしたり。乳児とは言えやっぱある程度顔を認識できるもんなんですね。奥さんだと笑顔どころか抱っこまでさせてくれるのに、私が近寄るとこっちを凝視。大丈夫だよーと笑顔で一歩ずつ近づくと、ある一歩で急に泣き顔に。一歩下がると真顔、そして一歩踏み込むと泣き顔。ちょっと泣き声まで聞こえてきます。いやいや大丈夫だから。君の伯父みたいなもんだから。何年か経ったらお年玉あげるような関係だから。と力説しても乳児に理屈は通じません。結局、馴れて抱っこさせてくれたのは帰宅間際。きっと次に会う時はまた警戒されるんだろうなあ。
30日
まずは奥さんの友人宅へ、お下がりのプラレールを届けに。で、そこのお子さんが幼稚園くらいで人見知りが激しい時期で、前日のように警戒されまくりなのです。で、やっぱり帰宅間際にようやく笑顔を見せてくれるくらいなのです。
お昼からは従兄弟宅へ。奥さんは昼食をとった私の祖父母宅ですっかり腰が重くなってしまい、嫁と姑と姑の母と姑の妹と小姑とでお茶を飲みながらダラダラおしゃべりするという事で別行動。で、私は従兄弟の息子と狩りに出かけます。モンスターハンターポータブル3rd 。2010年の私を語るとすると、このゲームとその前作であるモンスターハンターポータブル2ndG の両作を避けられないような、そんなゲームです。初対面の時はコミュニケーションツールに使われたのはポケモンだったのですが、いつの間にやらPSPとモンハンにその座を奪われてしまいました。「狩りを手伝ってください」と言われてたのでいろいろとお手伝いに。夏に会った時は私のラオシャンロン狩りを手伝ってもらったもんですが、どうやら技量が逆転していたようです。まあ、あの時は私が購入してさほど経っていないという時期でしたし。んで、室内でゲームの後はお外で鬼ごっこをし、嫌な唾が出たり頭部の血行が不足したりしつつ訪問終了。夜は奥さんが帰宅のためお見送り。いつもは乗用車で帰省しますが、その気になれば電車とバスだけでも自宅と実家を行き来できるような環境です。奥さんは駅まで送ってさようなら。頑張れよ。福袋たくさん売れよ。
31日
早朝に奥さんからのメールが。忘れ物だろうか。それともお買い物のリストだろうかと見てみると、「ノロに感染した」との事。そういえば29日の奥さん実家訪問時、「お義父さんが夜中に吐いたりしてた」とか聞いたような。本人がいなかったんで感染の心配はないと思ってたんだけどどうやら娘である奥さんが何か拾っていたようで。さすがにこれでは仕事は無理なのでこの日はお休み、病院に行って休養する事に。
昼過ぎに愛車の汚れを落とすために恒例の年末洗車。天気が悪いから例年は実家の自家用車全てを洗いに行くけれど、今年は自分の車だけ。相変わらずの混雑ぶりに車内でジンオウガを狩りながら待っていると奥さんから再びメールが。体調がどうにもならんから、明日の出勤は車で送ってほしい、と。我が家で最も頑丈な奥さんが泣きを入れてくるとなると、これは余程の事です。洗車が終わって寒空の下軽く拭き上げ急いで帰宅の準備。実家にて子供たちの世話を頼み、荷物をまとめて予定外の九州自動車道北上行です。悪天候が続いた年末、山肌の積雪を眺めたりたまに吹雪いたりする中を無事帰宅。が、洗車後の一仕事がいけなかったのか私まで寒気が。体温を測ってみると38度ほどあります。風邪です。奥さんの具合は小康状態ということで、私も無理をせず日付が変わる前には寝てしまいました。年越しの瞬間をを寝て過ごすなんて何年振りだろうか。
元旦
奥さんは動き回れるくらいには回復。腹具合は全く駄目なようで、前日に私が買いこんでおいたウィダーインゼリーとポカリスエットが生命線。私は私で吐き気はないものの若干の発熱と、そしてそれなりの下痢が。寝正月を決め込みましたが、そもそもの帰宅理由である「奥さんの送迎」はやらないといけません。寝ぐせ頭と髭面に丹前を着込んで、スーツ姿の奥さんをお送りすると、気分はすっかりヒモの旦那です。「パチンコ代くれよ」とか言ってしまいそうになります。「正月だからきっと出るよ」とか。パチンコやらないから分かりませんが。お見送り後はパチンコには行かず、お家でおとなしくモンハン、すらやる気が起きずに寝っ転がってテレビ鑑賞。ハライチのネタを見たところでお昼寝。夕方に起床し、奥さんのお迎え時刻までだらだらモンハン。夜には体力はある程度回復。しかし腹具合は夫婦揃って食欲なし、消化力なしという状況。餅もおせちもないけれど、あったところで食べる気力は湧かず、おにぎりやらうどんやらでおとなしく。
2日
今回の年末年始の中で最大のイベントと思われる中学校の同窓会。でも奥さんはお仕事。これは連絡が回ってくるのが遅かったという問題があるので仕方ありません。一か月前じゃ、いろいろ予定が入っちゃうよね。実際出勤予定は組み終わった後だったし。奥さんは欠席ですがせめて旦那の方だけでも、という事で夕方までに再度荒尾に戻らなければなりません。ところが、九州自動車道は半分くらいが沈黙。具体的には筑紫野ICと八女ICの間が雪のために通行止めとなっているのですが、それはまさに私が通行する区間の大部分。その時点では乗り始め一区間と乗り終わり一区間分しか通行できません。「久留米くらいまで進んで、そこから高速に乗れたらいいね」くらいの気持ちで午前9時に奥さんを送りこちらも出発。カーナビを頼りに渋滞を避けつつ久留米まで辿りつき、復旧の見込みがないためやはり一般道で実家まで。道中、宮崎観光の「福岡・博多お買い物ツアー」というバスとすれ違いましたが、あのバスは結局どこまで進めたのでしょうか。時間を考えると日没までに福岡に行けたらラッキーくらいだったのですが。なお、この日高速道路が復旧したのは実家への到着後でした。久留米で待機しなくてよかった。しばし休憩後に同窓会へ。深夜の三次会までお付き合いし、その席に全くの偶然で高専の同期と遭遇するなど、様々な再会をしてきました。
3日
「絶対高速道路が渋滞するよなあ」と思いながらも昼過ぎに実家を出発。やっぱり渋滞してたんで高速に乗る前の「この先20km渋滞」という電光掲示を見たところで「じゃあ違う道を行ってみようか」と子供たちに提案し裏道を突き進む。が、一時間ほど頑張ったところでろくに進んでいない現実をカーナビに見せつけられ、おとなしく渋滞の一員となる。出発から三時間ほど経過し、基山PAにて休憩。その辺でカーラジオから「基山PAを先頭に40kmの渋滞」とか聞いて峠を越えた事を把握する。いやもう久留米ICから全然進まなかったもん。夜に仕事が終わった奥さんを迎えに行き、同窓会の写真やらお話やらをいろいろ。
それにしても、移動が多かったせいかあまりゆっくりした感じがしない。腹具合悪かったせいかおせちも食べず、餅もいくつか、酒も飲めずという慎ましやかなお正月でした。体重が減った正月って初めてじゃなかろうか。