来春から小学生になる長男。保育園で小学校の話でもあるのでしょうか。最近学校についての話を聞きたがっています。
「小学校は何歳まで行くのか」だの、「引っ越したら違うとこの小学校に行くのか」だの、「弟が大きくなったら一緒に小学校に行くのか」だの、きりがありません。今から「入学式のときに先生が教室を教えてくれなかったらどうしよう」とか考えても仕方ないのに、さらにそこから飛躍して「弟が入学したときに教室を教えてもらえなかったら、代わりに教えてあげる」とか言ってます。困ったものです。
困ったものと言えば、「小学校の次はどこに行くの」系統の質問です。中学校と答えると「じゃあ、中学校の次は」。その次は高校だと答えると「じゃあ、高校の次は」となります。大学行って、卒業したらお仕事だよ、と答えると「えええええーー」という、不満だかなんだかよくわからない感想が返ってきました。
問題はこの、「小中高から大学」という過程です。義務教育は小中の九年間、現在では高校も実質的な義務教育ですのでさらに三年加えた十二年。これが基本でしょう。勿論、大学進学率も高くなっていますし、それどころか各大学は定員割れの危機に直面しています。子供たちが大学進学を考える十年後は、それこそ大学も実質的な義務教育なんて言われているかもしれません。
しかし、世の中の基本が身近な人物の基本と等しいかというと、必ずしもそうではありません。例えば、子供に対して実際に話をしていた私。小学校、中学校まではともかく、それから五年制の工業高専に進学し、卒業後は進学せずに就職しました。「こうこうは、3ねんかんいくんだよ」という義務教育直後のお約束がいきなり撤回されています。じゃ、父親でなく母親はどうかというと、こちらは小中高までは基本どおりでしたがその次が短大です。「だいがくは、4ねんかんいくんだよ」なんて言ってたのにその半分です。説明に困ります。
では、叔母である私の妹連中はどうでしょうか。たしかに上妹は大学に進学してから就職したようですが、その過程に「高校卒業後、一年浪人して大学合格」というものが挟まっています。素直に足してしまうと計算が合いません。かと言って下妹は、と言うと「高校卒業後一年間どこぞの大学に通ったが中退して一年浪人して別の学校に入学」という、更にややこしいことになっています。むう、もうちょっとオーソドックスな経歴を持つ者はおらんのか。
最初からいきなりイレギュラーな事を教えても仕方ありません。結局その場では基本である 633 + 4 の十六年間学校に行くという事を教えるに留まりました。その後、「なんでママは保育園の先生にならなかったの?」と、いらぬ方向に矛先が向いたりしました。口が裂けても「出席日数が足りなくて、卒業するのがやっとだったから資格がもらえなかった」とは言えません。適当にごまかしておりました。
それにしても、イレギュラーな存在を他人に理解してもらうには苦労します。例えば、世の中の大半の人が「高専」と聞いてイメージする物は、いいとこ「ロボコン」程度でしょう。そして、そうイメージする人の数以上に、「高専って、なんじゃらほい」な人が多い事でしょう。私なんかは実家に近かったり、親戚が事務員として勤めていたりで、幼い頃より高専というものの存在を知っていました。ですが、世の中には高専というものは何なのかご存じない方も多数いらっしゃいます。そう、それが企業の採用担当者であっても。
その昔、高専で事務員をしている叔母から聞いた話です。とある企業から電話がかかってきました。なんでも、ある卒業生が面接にやってきたのだが履歴書を見ると不審な点がある、ちょっと質問させて欲しい、との事だそうで。一体何事か、と緊張したそうです。その不審な点とは何なのか。話を聞いてみると、「この面接者は、おたくの学校を卒業するまでに五年もかかっている。これはどういう事か。よっぽど素行が悪かったのか」だそうで。
叔母は脱力し、しかし気を取り直し、「高専ちうものは五年間通うものだから全然問題ないっすよー」と回答したそうで。相手の誤解が解けたから笑い話で済んだものの、もし先方が調査をせずに「高校に五年通う奴は駄目人間だから不採用」とやられたら笑えません。うちの息子も将来こんな勘違いをしてしまうのでしょうか。「俺の親父は中学校の次の学校を卒業するのに、五年も掛かった駄目人間」とか。いやまあ、駄目である事は否定できないんですが。