「ロバのおじさんチンカラリン チンカラリンロン やってくる」
最近、よく我が家の近所でこの歌が聞こえてきます。言わずと知れたロバのパン屋。父プリンスオブバーズ母ハナブサクイン母の父カウアイキングな四十三戦四勝二着九回な甲南ステークス勝ち馬ではありません。本家本元のパン屋さんの方です。そういえば、冒頭で歌詞の一部を転載したんですがこれってJASRACに許可を出さないといけないんですかね。JASRACと言えば、先日「ハードディスクに音楽が保存できるからそっちにも課金」なんて方針を打ち出したとか何とか。って事は、あれか。お前ら将来的に「割り箸で音楽を聞く技術」なんてものが開発されたら世の中の割り箸全部に課金するつもりか。
いや、競走馬もJASRACも全然関係ないんですけどね。で、パン屋さんのお話。私が子供の頃には実家の近所にもよく回ってきていました。だいたい午後四時頃にあの音楽と共に軽ワゴン車でやって来ていました。毎日来る、とか毎週何曜日に来る、というわけではなく、気が付けば音楽が聞こえる、という状態でした。ひょっとしたら巡回する曜日は決まっていたのかもしれませんが、少なくとも私は知りませんでした。いつも遠巻きに眺めながら「一度でいいからあのパンを食べてみたいなあ」と思うだけでした。
月日が経つにつれ、いつのまにやらあの音楽を聞く機会がなくなっていました。巡回担当者が引退したのでしょうか。近所だけでなくちょっと離れた所まで遊びに行っていた私が聞かなかっただけで、いつもと変わらずにあの音楽は流れていたのでしょうか。どちらにせよ、私が直接あの音楽を聞いていたのは幼稚園の頃まで。小学生になってからはあの音楽を聞く事もなく、次に聞いたのは成人式も過ぎ、子供まで産まれた後でした。
幼稚園の頃、私のお小遣いにはいくつかのルールがありました。
「家のお菓子を食べた日はお小遣いはなし」「お小遣いは二日以上連続では貰えない」「お小遣いは一日五十円」
今の子供の財政事情を考えると天と地ほどの差があります。
その気になれば毎週ムシキングで百円を浪費できる長男。当時三十円のビックリマンチョコを毎日買える友人が羨ましかった私。
本人のお財布の中身だけで新しいゲームソフトが一つ買える位の資金を持つ長男。当時六百円のミニ四駆が欲しいけれど高嶺の花というかそんな金ねえよこの野郎だった私。
共に資金の出所が私の母な訳で、なるほど息子よりも孫のほうがかわいいよなそうだよねうんうんと勝手に納得しています。
で、幼少時の私の前にロバのパン屋が現れる日。その日は決まって、既にお菓子を食べてしまっていてお小遣いが貰えない日でした。一度や二度ならともかく、私が見かけた日はことごとく、です。パン屋のおっちゃん、ひょっとして俺の行動を監視してるんじゃないかと思うくらい見事に一致していました。もっとも、五十円のお小遣いでは何も買えなかったかもしれません。今より二十年前、ロバのパン屋に並ぶパンの値段はいくらだったのでしょうか。車に群がってパンを眺める権利すら持てなかった私には分かりません。結局、一度もパンを買う機会はありませんでした。
あれから二十年。仕事帰りに中古のゲーム機とゲームソフトを衝動買いできる程度には資金の余裕ができました。そんな私の目の前に一台の軽ワゴン車が。車体の横には「ロバのパンや」と書いてあります。あの独特の音楽も流れています。車の中を覗くと、まだいくつかのパンが売れ残っているようです。財布の中身を心配する必要はありません。
でも、結局何も買いませんでした。そういえば値段の確認すらもしてなかったな。なんか、「俺はロバのパン屋のパンを眺める権利を得た、買う事だってできるぞ」という、それだけで満足してしまいまして。「修学旅行で行った所に家族旅行で行っても楽しくない」というのと似ているのかもしれません。私は、あの時、友人達と一緒にパンを食べたかった。それだけなのかもしれません。