社会の荒波に揉まれて、いつの間にやら魂が汚れてしまっている自分がいます。え?「もともと汚れてた」ですって?何をおっしゃいます。「さらに」汚れたんですよふははは。……いや、泣いてなんかないですよ、ほんと。
まあ今も昔も穢れている事に変わりはありません。開き直るしかありません。開き直って穢れた目を通して世の中を見ていきましょう。幸い、辛く厳しい冬が終わり、春が、そして夏がやってきます。そう、薄着の季節です。
身長175cm(自称)ということは、女性の平均身長から頭一つ分くらい高いわけでして、その視点からは夏と冬とで異なる景色を見せてくれます。冬の間は固く守られていても、夏になれば開放的になりその守りもおろそかに。そこを逃す手はありません。ノーガードならばそこに撃ち込んでこそ漢です。オープンリーチならそこに振り込むのが作法です。長々と講釈を垂れておりますが、要は「谷間万歳」「ありがとう谷間」「頑張ろう谷間」という事です。昼休みに昼食を調達しに行くその間隙を突いて、電車の中で吊り革にぶら下がる私の目の前で、街中ですれ違うその瞬間に。至福の瞬間は目の前に訪れるのです。
しかし、時として神は粋な悪戯をしてくれます。谷間に目を奪われている私に、「もっと広い視野を持て」と教えてくれるのです。ある昼下がり。主婦の買い物につき合わされ、長男を肩車し次男を抱っこするという苦行に耐えていたときの事です。よたよたと歩く私の進行方向から、一人の女性の方がやってきました。やや日差しの強い日であり、またその方も解放的な性格の方だったのでしょう。「これはきっと苦行に耐えている私へのご褒美である」と勝手に解釈をし、ありがたく頂戴しておりました。ところが。近づくにつれてご褒美にはおまけが付いていることに気づきました。こう、頂点の部分にですね、小さく、ぽっちんとなってる部分がですね、あるわけですよ。ぽっちん、ぽっちんと二つ。近づかないと分からんわけです。
これが噂のノーガード戦法か、と。たしかに素晴らしい破壊力です。しかし残念なのは、民族性の違いなのか、かの戦法を多用するのは圧倒的に欧米系の方が多いと思われることです。「スウェーデン」という単語に特殊な反応を示すのは私よりも若干上の年代だったと思いますが、やはりアジアの一小国に留まっていてはいかんのです。脱亜入欧を目指す日本にもこの戦法が普及してほしいものです。
いや、普及はしてほしいけどそうじゃなくて。目の前を通り過ぎた眼福はがっつりと堪能させていただいたわけですが、最近はブラウン管の中にもぽっちんが登場しております。「ブラウン管の中」という表現も些か古臭い気がしますが、我が家は未だにブラウン管なんですよ。しかもリモコンが壊れてしまったんで本体で操作しないといけないし。
で、ブラウン管の中。そういう煩悩とは無縁であるはずのスポーツの世界にて、ぽっちんの女神は活躍しておられます。いいですね、スポーツ。特にお美しい、お若い、テニスなんかなさってる方なんて。いやはや、お美しく、ぷるんぷるんで、ぽっちんで。素晴らしい。夢も希望もないサラリーマンに、明日を生きる活力を与えてくださいました。ですが、つい先日。奥さんとの会話によってその夢が打ち砕かれてしまいました。
「そういえば、付け乳首って売れてるのかな」
なんですかそれは?
「こないだ薬局に行ったら、レジの横に『入荷しました』って書いてあったの」
そんなもんに需要があるの?
「あるよ。テニスの人だって付けてるでしょ」
テ、テ、テニスの人ですとー?薄汚れたサラリーマンにわずかに残った夢と希望。それを現実が打ち砕いた瞬間でした。ひどい話です。この世には神も仏もないようです。サンタクロースは髭のお爺さんであるように、着ぐるみの中身が存在しないように、プロテニスプレイヤーのぽっちんは本物であるべきなのです。少なくとも、真実だと信じている人には事実を突きつけてはいけないと思うのです。知りたくなかったよ。