昭和二十五年に熊本県南部の片田舎に生まれた私の父。五人兄弟の末っ子としてすくすくと成長したのだと思います。多分。途中を四十年程端折りますが、いつのまにやら孫にも恵まれつつ、仕事に忙しい日々を送っているようです。

さて、つい先日のこと。私の息子の幼稚園にてお遊戯会が行われるということで、日程に関して実家に連絡することにしました。多少距離があるとはいえ、たかだか高速片道二時間。ちょっと頑張れば十分日帰りできる距離です。昨年幼稚園の運動会にも来ていましたし、今回も既に来る意思を伝えられています。そんなわけで、日付と時間を連絡しようと、実家に電話しました。

しかし、日中二度ほど掛けた結果はどちらも留守。珍しいこともあるものです。通常は日曜といえどもそれほど長時間留守にすることはありません。まあ、留守なら仕方ありません。こちらも予定がありますので、それらをすべて終えてから、改めて夕方にでも掛けることにしましょう。

んで、夕方。今回は下妹が出ました。大学進学 -> 一年で中退 -> 別の大学を目指して勉強中という、なかなかややこしい人生を送っている妹です。只今受験シーズン真っ盛りということで、当初は家族全員で受験に便乗して旅行にでも行っているのかと思いましたが、彼女が電話に出たということは私の予想は外れていたようです。それはさておき、母はいないのかを聞いてみました。すると、予想外の返事が返ってきました。

曰く、父が先日ダンプの荷台から落ちて入院している、と。耳の近辺を切ったため手術をしたが、その箇所は部分麻酔が効きづらいので全身麻酔を使用した、と。だいたい二週間ほど入院しなければいけない、と。母は見舞いに行っているため夜には帰ってくる、と。

妹も正確に状況を把握しているわけではないようで、些か不明瞭な情報でしたが、概ねそんな感じでした。さすがにびっくりします。いくら頑丈な身体を持っているとはいえ、もうそろそろ還暦の声も聞こえそうな年齢です。未だに腕相撲で勝てる気配がありませんが、それでも五十代後半です。傷の治りが遅いとか、頭部の怪我だけに厄介な後遺症が残ったりとか、そういう心配もあります。しかし、妹はそれ以上の情報を持っていないようです。母が帰宅したら折り返し連絡するように伝えて受話器を置きました。

それからしばらく後、母から電話がありました。用件もそこそこに、まずは現状を聞くことにしました。

で、入院って?
「耳がスパッと切れて、皮一枚で繋がってたんだって」
うへ、それはまた痛そうな。具合はどうなの。
「それがねえ。怪我したのはお昼前だったんで、病院に運び込まれてからすぐ手術できたのよ。空腹だから。
で、麻酔が切れて夕方、六時前に起きたんだけど、起きるなり『腹減った』だもの」
は?
「ちょうどご飯時だったんだけど、看護婦さんから『今日は食事はしないでください』って言われたもんで、『腹減った腹減った』ってずっと言ってたのよ」
いや、え?
「次の日はお昼に行ったんだけど、昼食はご飯粒一つ残さず食べてたし。配膳に来てたおばちゃんからは『明日から大盛りですね』って確認されてたし」
……俺は心配してたのに……

えーと、本題のお遊戯会なんですが、どう。二週間入院ってことは、退院してすぐだけど長距離移動して大丈夫なの?
「ああ、大丈夫大丈夫。入院って言っても、暇で暇で仕方ないみたいだし。点滴があるから仕方なく動いていないみたい」
そんなに元気なのか。鉄アレイでも持っていって筋トレでもさせとけ。
「でも明日くらいから動けるみたいなんで、もう打ち合わせの予定もあるみたいだからねえ」
病院で打ち合わせかよ。付き合わされるほうも大変ですな。入院先の病院の仕事があれば、片手間にやってるんじゃないのか。
「それがね、ちょうどその仕事があるのよ。入院中に仕事しそうよ」

一連の会話で改めて、「俺は親父には勝てない」と思い知りました。ここまで元気だとは予想外でした。手術の後で一番に心配することが食事だなんて、あなたはうちの息子ですか。我が父五十五歳。正月に聞いた「あと五年で事業規模縮小、十年でお仕舞い」という予定をきちんと達成できるか、今から心配です。二十年後も細々と仕事しててももう驚きません。


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