小学生の頃、クラスの行事に「柿むき大会」というものがありました。詳細に関しては忘れてしまいましたが、たしか、「誰が最も長く柿の皮をむく事ができるか」というものだったと思います。この行事のために、小学校中学年当時の食後のりんごの皮むきは私の仕事でした。結構練習してたんですが、生来のいい加減な性格が災いしてか、上手にむく事はできませんでした。そんなもんです。
あれから十数年が経過した今。りんごの皮をむく機会というのはそうそうありません。あ、柿は嫌いなんでもっとありませんけど。私がりんごの皮をむくとなると、用途はポテトサラダへの投入くらいしか思い浮かびません。わざわざ日曜の午後に紅茶でも飲みながらりんごを食べる、という小洒落た事をする気もありません。必要がなければ買わない、けど、ポテトサラダには入れたい。私にとって、りんごとはそういう果物です。もちろん、むいてくれるとか、後片付けもしてくれるという奇特な方がいらっしゃれば話は別です。
さて、必要に迫られて購入したりんご。もちろん、サラダに投入するためには皮をむき、小さく切らなければいけません。小学生の頃は地道に包丁を使って行っていた皮むきも、今ではすっかり皮むき器に頼るようになってしまいました。皮むき器。普通のご家庭なら人参とかジャガイモあたりへの使用で留まってるんじゃないかと思いますが。
昔、実家の台所で初めて皮むき器の存在を知った時、そして使ってみた時は、あまりの便利さに驚愕したものです。「うわっ、簡単に皮がむけちゃうよ。すごいよ、これ」とか何とか言って。その後、勢いよく自分の手の皮もむいちゃうんですけどね。痛かった。ああ、そうじゃなくて。皮むき器を使ってみて、こうも思いました。「小学生の頃に皮むきの練習をしたのは何だったんだ」と。
和食料亭なんかの厨房では、皮むき器が使われるような事はないのではないかと思います。「和食の伝統が云々」とか言って。中華料理の厨房でも、皮むき器が使われるような事はないのではないかと思います。「中国4000年の秘術が云々」とか。もしくは、全部まとめて大きい包丁でぶった切ってるんであんまり関係無いとか。偏見ですね。とにかく、そういう本職の方々は皮むき器なんて邪道な道具は使っていないのではないかと思うんです。きっとそういう方々は、自分の手のように包丁を使い、華麗に皮をむいていくのではないかと。大根の桂むきを皮むき器でやられたらちょっと嫌じゃないですか。いや、なんとなく。
しかし私はただのサラリーマン。料理を楽にするためには邪道だのなんだのとわがままを言うつもりはありません。わざわざ手間をかけて包丁でじゃがいもの皮をむいたところで誉めてくれるような人はいません。そんな手間をかけるくらいなら邪道に逃げますとも。そんなわけで我が家の皮むき器は大活躍してます。
そんな大活躍中の皮むき器も売ってある、デパートの台所用雑貨コーナー。先日、私はそこでけったいなものを見つけてしまいました。いや、買わなかったし、その機能にびっくりしたもんで商品名なんかは覚えていませんが、その道具の機能を簡単に説明するとこんな感じになります。
「米とぎの際に使用する棒。これを使うとお水が冷たい冬場でも手が冷たくならない」
ああ、よくわからん説明だ。形状的には、先っぽの形が変わっているフライ返しといった感じでしょうか。これを使って米をとぐと、自分の手は濡れないですみ、かつ簡単にできる、という代物です。お代は1000円もしないくらい。安価といえば安価です。
しかし、これはさすがにやりすぎではないでしょうか。「『米を洗え』と言われたんで洗剤で洗った」という笑い話がある世の中です。このままでは、「米を自分の手で洗っていたら若者に驚かれた」という世の中になってしまいます。私も、「さすがにこれはやり過ぎだよなぁ」と思いました。冬場の水仕事はたしかに辛いのですが、これくらいはやらなければいけないのではないかと。それにしてもあの商品。売れてるのでしょうか。どんな人が購入するのでしょうか。そういう興味はちょっとだけあります。
そんな事を言いながら、米をとぐ際には泡だて器のお世話になる私がいるのでした。がしゃがしゃと。だって水が冷たいんだもん。