世の中には電波時計という非常に便利なものがあります。21世紀の科学を結集して作られた非常に素晴らしいものです。あ、できたのは20世紀ですかね。んじゃ、旧世紀の技術の粋を集めた時計の最終形態とかそういう呼称で。この電波時計、伊達に「電波」等と名乗ってはいません。特殊な電波を受信して便利な事ができるらしいのです。例えば、電波を受信して時刻を合わせたり、フェルブス君宛の指令を受けたり、機密を保持するために自爆したりする事ができます。え?違う?できない?
冗談はさて置き。時計がずれていたせいで困った事になるのはよくある事です。電車やバスに乗り遅れたりするかもしれません。人との待ち合わせに遅れてしまうかもしれません。午後四時から始まる卵の特売に遅れてしまうかもしれません。嗚呼、何故止まる我が時計よ。
こんな事を書いていながら、私は電波時計を持っていません。近い機能を持っているのはCSのチューナーでしょうか。あれはあれで時刻合わせの機能すらないわけでして、電波時計と同じ仕組みなのか、それともまた別の仕組みなのか知りませんが勝手に時計を合わせてくれています。目覚し時計なんかのセットにはこのチューナーの時計を使用しているわけですが、次に買い換える時には電波時計な目覚し時計が欲しいなぁ、と思っています。だって、電波な目覚し時計なら時刻が遅れる事がないから、セットした時刻にちゃんと起きられるはずなのです。それに、電波な機能があるので、寝過ごしたら電気ショックか何かで起こしてくれるはずなのです。って、そのネタはもういいって。
電波時計は壁掛け時計や目覚し時計だけではありません。腕時計だって電波時計なことになってます。海に潜っていても、山に登っていても、正確な時間を知る事ができます。ついつい遊びに夢中になりすぎて、卵の特売に遅れる事もありません。
ところで。私、腕時計って嫌いなんですよ。腕が細いんで、腕時計をはめてもくるくる回ってしまいまして。手の甲の側とか手のひらの側とか、そういう見えやすい部分に文字盤があればまだいいのですが、90度回転されたりなんかすると見づらくて仕方ありません。そんなわけで、私は長い事懐中時計を愛用しています。大抵は懐の中ではなくズボンのポケットの中に収まっている私の懐中時計。かれこれ四代目です。二ヵ月でねじまき部分が大破した三代目を除くと、どれも数年間愛用しています。学生時代はポケットから頭だけ出している鎖のフック部分を見られて、「それはポケベルか」と聞かれたこともあります。ポケベル。懐かしい言葉です。昭和は遠くなりにけり。もはや戦後ではない。
この懐中時計の弱点。それは「売ってねぇ」という事に尽きます。そりゃ、金に糸目を付けなければどんなものでも買うことは可能です。しかし、時計に当てられた予算なんざせいぜい数千円の私にとっては、気に入った時計を手に入れる事はなかなか困難です。私が懐中時計に求める条件というと、「小さい」「安い」「ねじまき式だとついつい巻きすぎてその部分を折って泣く羽目になるんで電池式」くらいです。そう、「電波時計であること」なんて条件を付けられないんです。そもそも私、今まで電波式の懐中時計なんて見たことありませんし。売ってんのか?
さて、「懐中時計愛用派」という少数派に所属していると、意表をつく場面で迫害されたりします。その昔、こんな心理テストを受けました。
「あなたは腕時計に対してどのような感情を持っていますか?」
同席していたのは友人数名だったと思いますが、皆の答えはごく普通のものでした。曰く、「身体の一部」だの、「無いと困るもの」だの。しかし、私は違います。質問は『腕時計』に対してです。腕時計が嫌いな私には不適切な質問だったと言えるでしょう。私の回答は「邪魔。いらない。全部捨てた」といったもの。ええ、正直に答えましたとも。で。この心理テストで何が分かるのかと言うと。
「恋人に対する感情」
いや、その、待て。俺は『腕時計』が邪魔だっただけで、いや、そもそも彼女なんてものいないわけで、つまり、その、ああ……
弁解の機会すら与えてもらえませんでした。とほほ。