学生時代、とある教官はよく我々にレポートを書かせました。理系の人間にとってレポート書きというのはそう珍しい事ではありません。工学実験や化学実験のレポート提出なんかは我々の日常となっていました。工学系のレポートは日常でしたが、この教官が課題とする社会学系のレポートは、少なくとも私にとっては非日常でした。
工学系、即ち専門教科のレポートに関しては「真面目に書かないと単位が貰えない」という危機感がありました。が、専門教科以外の科目となると、担当教官次第で単位取得への難易度は大きく変わってきます。数学や物理のような、専門とは言えないかもしれないけど実質的に専門教科と同じ扱いを受けるような科目であると、難易度は専門教科と大差ありません。しかし、音楽だの体育だのという科目になると、実質的に「出席さえしていればいい」という状態になってきます。私にとっては社会学も似たようなものでした。
社会学が出席さえしていればなんとかなる理由の一つとして、単位取得に対する定期試験のウェートの低さがあります。大部分の教科は「テスト一発勝負、駄目なら追試」という状況だったのに対し、社会学では「半分は月々のレポート、残り半分は定期試験」という状況でした。つまり、毎月きちんとレポートを提出していれば、定期試験が駄目でも単位の取得は可能であったのです。私?もちろんきちんと毎月レポートを提出していました。しかし、中身まできちんとしていたかと言うと……
例えば。社会学は3年次にあった授業ですが、この教官は1年次には歴史学の授業を担当していました。その頃は毎月のレポートという課題はなかったのですが、夏休みの課題としてレポートを書くことになりました。お題は「歴史」。まあ歴史学の授業なので当然と言えば当然なのですが、問題は「何の歴史であってもいい」という点。「ほう、何でもいいのだな。ならばこれを書こう」と、自室に転がる資料と、図書館から借りてきた資料をもとにレポートを書き上げました。タイトルは「日本競馬の歴史」。いや、冗談ではなく本当に。他の皆は真面目に書いてるのに、一人だけ馬券の種類がどうのとか書いてるんです。ちと悪乗りし過ぎたか、とも思いましたが、きちんと評価されて返ってきたときはホッとしました。
ある種の大作雑文のようなレポートが受け入れられたので、その2年後、社会学のレポートは毎回そんな駄文を提出していました。いや本当、洒落の分かる人でよかったと思います。そりゃ、洒落で単位をあげるのはどうかとも思いますが、もう昔の話ですし。それにしても、参考文献に『「別冊宝島 競馬成金」宝島社』なんて書いたレポート、書いたのは私だけなんだろうなぁ。「歴史学」と「別冊宝島」。それだけならまだどこかに接点が出てくるかもしれませんが、「歴史学」と「競馬成金」じゃなぁ。そう言えば参考文献には『「別冊宝島 万馬券が出た!」宝島社』なんてのも書いた記憶が。どこが歴史学だ。