この作品は「ウソツキ雑文企画」に参加しています。

早いものでもう2月です。つい先日、正月がやってきたと思ったのですが月日が流れるのは速いものです。
2月と言えば重要なイベントがあります。そう、「豆まき」です。
え?他にもっと大切な事がある?
馬鹿なことを言ってはいけません。バレンタインだか伴天連だか知りませんが、日本人なら豆を撒き、そして豆を食わなければいけません。チョコなんて食ってる場合ではありません。……いや、くれるって言うんならもらいますけど。
豆まきは日本人の遺伝子に組み込まれたイベントなのです。その証拠に、毎年ワイドショーで各地の豆まきの様子が放送されているでしょう。「ワイドショーで放送」というのは、日本において一種のステータスなんです。ちなみに、この手のイベントには「荒れる成人式」だとか、「予算審議紛糾」、「帰省ラッシュでぐったり」なんてものがあります。って、ろくなものがないな。

脱線しましたが、話をもとに戻しましょう。よっこいしょ。
豆まきにも様々なやり方があります。各ご家庭の団欒の一部として酔っ払ったお父さんに豆を投げつけることも立派な豆まきです。ただ、今回はもうちょっとスケールの大きな豆まきについて考えてみましょう。全国各地の神社や商業施設などで行われる豆まきです。

ワイドショーでよく見る光景に、「関取の豆まき」や「芸能人の豆まき」があります。神社などはこういう人々を使って豆をまいているようです。商業施設では、キャラクターが豆をまくこともあります。浦安の観光施設ではネズミが豆をまきます。京都の花札販売会社でも黄色の電気ネズミが豆をまくそうです。大きいのと小さいのがセットで。

このような、「豆をまく」といった風習は日本古来からの伝統です。
手元に一冊の本があります。「日本の豆まき『豆』知識」という本です。民明書房という出版社の本で、初版が1972年、現在は第3版で64刷という本ですからなかなか息の長い本と言えるでしょう。
「民明書房なんて聞いたことがないぞ」とおっしゃるかもしれませんが、知る人ぞ知るといった感じの出版社なので普通の方は聞き覚えがないかもしれません。「東の民明書房、西の夏声書院」と言われるくらいの出版社なのですが。

この資料によると、有名人が表に出るようになったのは戦後のことであり、それ以前は人ではなく物が中心だったとあります。つまり、「有名人が投げる」のではなく「有名なものを投げる」だったのです。
この風習では現在でも残っています。
5年程前の話ですが、自宅の近所の神社で行われていた豆まきに行ったときの話です。
所詮は田舎、有名人を呼べるような資金力があるわけでもないのでその神社では例年「年男、年女が豆をまく」ということになっていました。なかなか無難な選択です。で、その人に関係のあるものを投げてもらうのが恒例行事となっていました。
その年の年女代表は、まあちょっと、ほんとにちょっとお年を召された、さほど若くはない……めんどくさい、要はおばちゃんだったわけです。で、そのおばちゃんは地元ではちょっと有名なパン屋のパートをしていました。
……豆まきでメロンパンが飛んでくるという光景はそうそう見られる物ではないと思います。あんぱんだったら「あんこの原料は豆だから」とかなんとかボケることもできますが、メロンパンじゃどうにもなりません。メロンパンが不評だったのかどうか、翌年からは年男年女の方々も普通に豆を投げるようになってしまいました。残念。

この、「豆以外のものを投げる」といった風習ですが、江戸時代の中期までさかのぼることができるそうです。なんでもその前年の大江戸花火大会で勝負した商人達が、夏まで待てないとばかりに豆まきの最中に野菜を投げ出したことが始まりだとか。
これがうけたため、翌年からはエスカレート、全国各地にこの風習が広まったとのことです。

しかし、「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉もあるように、やりすぎはいけませんでした。
ある年、夏の花火大会も冬の豆まきも連敗中の商人が、とうとう「人」を投げることを考え付きました。しかも、よりによって「関取」を。
当時は今以上に相撲の人気は高いものでした。そのような時代に関取を投げるとあって、異常なほどの盛り上がりを見せていました。
そして運命の瞬間。
……まあ、常識的に考えれば、空からあんな重たいものが降ってくれば潰れるなっていうのはわかるんですが。
結果だけ書くと、関取のダイブで下敷きになった死者が5名、直後に殺到した群衆の中で圧死したのが18名(この中にはダイブした関取も含む)、その他重軽症者多数、神社の境内は半壊、商人は責任を取らされ島流しとのことでした。
この事故の後で「人はやめておこう」「重いものもやめておこう」となり、豆を投げる昔ながらの豆まきに戻ったということです。

このような出来事が合ったと言うことが忘れられた現在でも「重いものは投げない」ということだけは守られています。「関取」が豆を投げるというのも、「重たい物を投げようとする輩がいれば、直ちに対処できるようにする」という理由があるのです。
そして、なくなった関取の冥福を祈る、という理由もあるのです。
嘘だと思うのなら、彼らが豆をまく場面をみてください。どの関取も同じ回数しか豆を撒かないはずです。
21回。亡くなった関取の享年です。


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