1995年2月。高校受験でてんてこ舞いの我々の前に、一つの課題が立ちはだかっていました。国語の授業での課題。その内容とは「詩を書く」という事。正直言って、そんな事に頭を回す余裕があれば英単語の一つも覚えなければいけない時期です。幸い、課題の締め切りは私の本命校の受験の数日後。とりあえず目前の入試に向けて頑張って、それから課題をやっつけよう。そう思いました。

話は脈絡もなく飛びます。男性の皆様。髭はどれくらいの周期で剃っていますか?また、何時剃りますか?「髭剃り」という習慣には、父親の与える影響が大きいのではないかと思います。いや、別に統計とって調べたわけではないのですが、私がそうだったので。で、私が父から受けた影響、というか、受け継いだ習慣というと、「毎日剃る」「風呂上りに剃る」という2点です。

先述した「どれくらいの周期か」、「何時か」という2つの質問。私の父の回答は「毎日」「風呂上り」という事になるでしょう。この質問に関しては、それこそ十人十色の回答が得られるのではないかと思います。「何時か」という問いに限定しても「風呂の中で」「朝」「気が向いたときに剃るから決めてない」等々、様々な反応があることでしょう。また、周期に関しては、私と父の間ですら回答が異なります。私は父ほど髭が伸びる速度は速くないため、2、3日に一度剃る、という習慣になっています。

周期に対する私の「2、3日に1回」という回答は、「毎日剃らなくてもいい」というメリットがあります。髭剃りというものは結構面倒なもので、それだけで数分間の時間を浪費してしまうことになります。こうやって駄文を書くのに数十分の時間を浪費している人間の言う言葉ではありませんが、面倒なのは面倒なんです。はい。さて、メリットはデメリットと表裏一体と言いますか、この方式のデメリットというと「毎日剃らないから気を抜くとえらいことになってしまう」という事です。自業自得と言いますか、「まだ大丈夫だよな」と勝手に判断して数日放っておくと、いざ髭を剃らん、という時に非常に剃りづらい事態に陥ってしまいます。

実際に1週間ほど放っておいた髭を退治する際には、若干の犠牲を払わなければいけない場合もあります。下顎の左側より左耳方面を剃り、返す刀で下顎中央部、そして右耳方面を制圧。この辺りまではまだなんとかなります。問題はそれ以降。私にとっての鬼門である上唇と鼻の間の部分です。多めにジェルを塗ったくり、細心の注意を払って剃っていくのですが……ああ、またしても。またしても失敗です。出血です。

さて、ここで冒頭の詩の話に戻ります。入学試験が終わって数日。実際には2週間ほど後に公立高校の入試が待ち構えていたのですが、すでに精も魂も尽き果てていた私は、怠惰な休息の日々を送っていました。結果的には本命校に合格していたため、公立高校の入試の日は学校でのんびり過ごしていたのですが、まだその時点では合格の通知は届いていません。
(ああ、また勉強しなきゃいけないなぁ。あ、その前に詩を書かないといけないなぁ。詩って言われても何書けばいいんだよ。締め切り明日だよなぁ)
そんな事を風呂に入って考えていました。冬のお風呂は快適です。その快適空間でネタを探していたのですが、結局何も思い浮かばないままでした。風呂から上がり、洗面所にて鏡を見ると、私の顔に若干の髭が見えます。それこそ産毛程度にしか生えていませんでしたが、それでもちょっと気になります。よし、髭を剃ろう。そうしようそうしよう。私はいそいそと髭剃りの準備に取り掛かりました。

準備といっても大した事ではありません。親父の髭剃りを拝借し、石鹸を泡立てて顎に塗りたくり、いざ。……と、ここで上手くいくはずがありません。この時点で未だ、生涯2度目か3度目の髭剃りです。初心者です。やってはいけない事、というものがあるなんて事も知りません。ええ、やっちゃったんですよ。髭剃りを真横に滑らせちゃったんです。

「キレテナーイ」というCMが一世を風靡したのはそれから数年後。「剃刀を真横に滑らせると大変である」なんて事も知りませんでした。風呂上り、手加減なしという条件も重なって、洗面台は赤く染まりつつあります。止血しようと周囲を見渡しますが、目に映るのは真っ白なタオルかゲロ拭いた雑巾くらいなものです。動揺していても、きれいなタオルで止血しようとは思いませんでした。洗濯大変ですから。悩んだ末に私が取った行動は。……いや、オチを期待されても困りますが、無難に助けを呼びましたよ。笑われましたけど。

そんなこんなで課題の締め切り当日。私はなんとか書き上げました。

題:髭剃り  作:cloud
髭を剃る
成功する
すっきり

髭を剃る
失敗する
流血

ええ、笑われましたとも。「これは詩なのか?」という突っ込みも受けましたとも。確かに『ぽえむ』な世界とはちと違う気もします。バイオレンスな詩だ、と言い張る事もできるかもしれません。違う気がしますが。まあ、その、なんだ。確かにちょっとふざけてる詩かもしれませんが、こっちは身を削ってネタを作り上げたんですよ。わざわざこんなもん、印刷しなくてもいいじゃないですか先生。

という事で、この詩の原本を読むことが出来たのは、この世に数人程度しかいません。数人の集団単位で印刷されたため、当時の同級生であっても私がこんな文章を書いたということはほとんど知りません。逆にいえば、その数人は私がこんなすっとこな詩を書いたことを知っているわけでして。あのメンツを思い浮かべるに、おそらく数日後には皆焼却処分していると思うのですが……いやだなぁ、あんなの残ってたら。


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